カゴメのスムージーは私のお気に入りですが、最近見つけた「愛媛甘夏」をはじめて飲んでみました。

もっとさっぱりした味を想像していたのですが、飲みやすいように作られているのか、割と甘かったのが意外でした。ただ何がどう愛媛の甘夏なのかは私にはわかりませんでした笑。

このシリーズは他にもいろんな味があって、おそらく全種類飲んでいると思いますが、Wベリーが一番おいしいです。

唐突ですが、神様の御言葉の基準は絶対的で正しいものなのだ、と最近特に感じています。

今回はそのことについて少しお話しようと思います。

私の人生や今までやってきたことを大雑把に思い返すと、幸運にも私の人生の中では、取返しのつかないような大きな問題や致命的な出来事はなかったと思います。決して裕福ではありませんが、特に生活に困っているわけでもないし、不自由を強いられてるわけでもないし、不幸な目に遭っているわけでもない。結婚していて子どももいて、仕事もあって、その他あれやらこれやら勘案すると、どちらかと言えば幸せに生きてこれたと思います。

また、特に自覚していたわけではなかったけれども、私はこれまでなるべく正しいことをしようとしてきたし、間違ったことはなるべく避けようとしてきたように思います。なので割りと真面目な性格なのかもしれません笑

でもそれと同時に、日々このままでいいのか、と自問自答ばかりしてきたようにも思います。

私は順調に生きている、私の人生はこのままでいい、などとはこれっぽっちも思ったりはできませんでした。

何かが間違っているのではないのか?何かが足りないのではないのか?でもそれが何なのか見当もつかない。別に不幸でも不運でもないのに、毎日そんな疑問を抱いていたのだと思います。

元々私は本を読むのが好きなタチです。raptさんが時々おっしゃられていた、休日に一日中本屋に入り浸っていたという昔話。私はとてもよ〜くわかります。

でも、読書をすることである種の知的好奇心を満たすことはできたかもしれませんが、この手の疑問に対する回答はそれこそ本を何冊何十冊何百冊読んでも得られませんでした。

ただ幸運なことにも、御言葉を読むようになったきっかけも、読書の延長線上にあったようなものですから不思議なものです。

ご多分に漏れず、私も宗教に対する偏見はありましたが、面白そうな話だし買って読もう。失礼ながらも、内容が気に食わなければ読むのを止めればいいだけのことですし。そう思って、いつものようにアマゾンでポチっと本を注文するような気軽な感覚で御言葉も読みはじめました。

そして今、御言葉を通じてわかったのは、このようなこれまでの私の生き方はすべて独りよがりな一個人の人間の価値観を基準にしたものにすぎないということです。

神様の基準というものを知ってしまうと、これらの疑問が湧くのはある意味当然のことだとわかります。所詮人間レベルの基準であれやこれやと物事を判断しているだけですから、そりゃ右往左往しますよと。

でも神様の基準というものを知った今は、そんなことで悩んだりはしていません。

今回、改めて自分自身どのように救われてきたのかを探ってみると、結局のところ、私は人として正しい生き方をしたかっただけで、その答えが神様の御言葉の中にあったのだ、ということが最近少しずつわかるようになってきました。

私は、”私から”自分自身の話をするのが苦手です。自分のことを話すのが嫌いというわけではないのですが、例えば「どこに住んでいますか?」とか「趣味は何ですか?」などと他人から聞かれない限りは、なかなか自分のことを話すことができない、そんな性質です。

なので証しをするのも大変です笑

でも、そうも言ってられないので、これからは自分自身のことをもっとを具体的に話ができるように頑張って行きたいと思っています。